ハイパーモラトリアム

日々をだいじに

映画#1 名画座・テーマ

 昨年下半期はそこそこ映画を見た。そろそろ趣味は映画鑑賞ですって言ってもいいかもしれない。まだ見られていない名作も多いのでおいそれとは言えないが。先に宣言しておくがこの記事にクリティカルなネタバレはない。逆に言うと一言程度の紹介がある。

2016年映画館で見た映画リスト:見た順を思い出そうとしたがいくつか違うだろう

東京にはミニシアターや名画座がたくさんあり良い映画に出会えることが多い。マイナーな作品を見ておきながらなぜあれを見ていないのだというものが沢山あるがレンタルで旧作になったら見ておくのでご勘弁いただきたい。

2016年、特に名画座に初めて行った感動はなかなかのものだった。2作品をセットでお得な値段で見られるのはもちろんのことだが、2作品の相互作用というか、2つ合わせて見ることで共通するテーマを浮き彫りにする、という仕掛けにかなり衝撃を受けた。

僕は「FAKE」と「太陽の蓋」をセットで見た。知らない人にモチーフとしての2作品を一言で説明すると、「FAKE」は佐村河内守のドキュメンタリー、「太陽の蓋」は3.11の政界を描いた作品だ。そしてそこに共通するテーマは報道と情報。情報は伝える側が恣意的に伝えたい情報だけ強調できるし、我々も知りたいことしか知ろうとしない。「FAKE」は1本で見ても物凄く深みのある作品だが、「太陽の蓋」の方は、ともすれば単なる震災を振り返るだけの再現ドキュメンタリーとして見られてしまいかねない。2つ合わせて見ることで一味も二味も深みのある鑑賞体験があるのだ。

 

映画には様々な評価ベクトルがある。

  • 扱うモチーフ
  • 作品を通して伝えたいメッセージとしてのテーマ
  • 映像美
  • 俳優の演技
  • 演出・技術的面白さ
  • サウンド
  • 全体から醸しだされる雰囲気

とか。なぜこんな話をするかというと、僕はメッセージとしてのテーマに重きをおいた評価をしがちであると気づいたからだ。作品モチーフを通してどんなテーマを伝えたかったのか、が大事なのだ。テーマなんて結局受け手がどう捉えるかということだから、僕がどれだけ共感したか、理解できたかに依存してる可能性がある。幸い僕はあまり批判的に鑑賞出来なくて共感しようと努める方なのだが、テーマがうまく捉えられなかったときにどう評価したらいいのか分からなくなって困っている。

例えば「この世界の片隅に」。かなりの話題作だが、僕はいまいちピンとこなかった。もちろん面白かったのだが、「戦争中をひたむきに生きる人々」をモチーフに、何をテーマとして伝えたかったのか、が掴めなかった。他の評価ベクトルで見ればどれをとっても良かったのに、テーマが掴めなかったせいで評価が宙に浮いてしまった感じがして悔しい思いをした。

結局僕は映画から”何か”を得ようとしすぎているのだと思う。映画は必ずしもテーマを伝える手段である必要はないはずだ。しかし「僕がテーマを掴めなかったのか」「作品がそもそもそういう属性を持ってないのか」結局ブラックボックスだという点が辛いところだ。

それならテーマがうまく掴めなくてもいい映画だったと思える作品があるか、と振り返ったところ、「バグダッドカフェ」がそれだった。独特のゆるやかな雰囲気に飲まれて、なんとなくいい映画だったなあという記憶がある。「ノスタルジア」もそれだ。廃墟の映像美が強く刺さったのだった。しかしどちらの作品も何らかの伝えたいテーマがあるんだろう、と匂わせるものがあったとも思う。

つまりここで、テーマの理解は出来なくてもよくて、"何らかのテーマを感じさせるもの"を感じ取れなかったときに僕は宙に投げ出されるのではないか、という仮説にたどり着いた。全てを完全理解するなど一度見た程度で分かるはずもないので、それでも何らかの欠片を感じ取れたなら僕はそれで満足出来るのだろうか。